北仲マルシェが開催されている北仲地区は、行政区分上、北仲通りをはさんで、 海側の「北仲通 北地区」と、内陸側の「北仲通 南地区」に分けられている。
北仲地区の全域は、古くは「洲干島」と呼ばれ、横浜村の総鎮守:洲干弁天社の境 内地だった。 ここは古くから風光明媚な景勝地として知られ、『江戸名所図会』にも描かれている。 明治以後の北仲地区は「元弁天」とも呼ばれ、長く その記憶が大切に伝えられてい た。 ここは「横浜村の総鎮守の地」であり、「横浜開港の祖神の地」とされていた。
島崎藤村は 小説『夜明け前』の中で、洲干島の様子を美しく描写している。 「樹木の繁った弁天の境内は、蝶の翅に置く唯一の美しい波紋」と。 ジュール・ヴェルヌの小説『80 日間世界一周』にも、主人公が横浜 弁天の島を訪 れたと云うエピソードが挿入されている。
文化 4(1807)年、歌人 清水浜臣の『杉田日記』には、洲干島と、その地先の姥 ヶ島を舟で遊覧した記録が残されている。 『袖ヶ浦八景』の第一景としても、このあたりの風景は 好まれた。
この地は、開港後に突然現れた「来歴のない土地」では けしてない。 西暦 806 年(大同元年)の伝承さえ、洲干島(北仲)には残されている。
いにしえ横浜村の人々にとって、ここは鎮守の地・まつりごとの地だった。 平成 19 年 7 月、横浜市都市美審議会 北仲通北部会に提出された、開発事業者作 製の資料には「北仲通北地区は もともと横浜村の総鎮守である弁天社の敷地で…」 と明記されていた。 この地の来歴が、開発事業者にとっても魅力的な付加価値で あったのだろう。 その後の資料からは、この表記は消える。 残念なことながら、 北仲の、あるいは横浜中区の記憶は、開港以降の歴史のみが歓迎されて久しい。
そこで西暦 806 年~第二次世界大戦 敗戦ごろまでを主テーマ として、現在までの約 1200 年間にわたる「北仲・洲干島・元弁天の歴史」を 追 想・検証しようと思う。 展示シリーズの主題は「北仲むかし昔」と名付けた。 このあたりに関係する様々な資料を再検証し、さらに書籍化されている伝説・口碑、 加えて、筆者の仮説も随時提示しながら、北仲の今昔を振りかえってみよう。
もしかして「北仲マルシェ」こそ、古横浜村時代からの「まつりの島・鎮守の地」 の、賑やかな縁日の再来であるのかもしれない。
長らく忘れられていたが、ここは「 祭りの場・集いの場」としてふさわし い。
2016 年 11 月 横浜村在住 M・岩田 記ス