【洲干弁才天の護符 横浜開港資料館所蔵】(写真左)
右上には「弁財天」、左上には「弘法大師御作」、下辺には「武州横浜村洲干」と書かれている。このことから、御符は江戸時代に刷られたものだと考えられるが、詳細不明。 これに類するものは、この1枚しか発見されていない。 - 横浜開港資料館所蔵 - 別記の「洲干弁才天 木造坐像 本尊」と同じく、頭上には鳥居と人面をのせており、神仏混淆した「宇賀弁才天像」の絵姿である。 手の数は、この御符からは判然としない。
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写真右は、左の御符を「石碑」として建立されたものが、元町1丁目増徳院 薬師堂 弁天堂に現存する。 ● 石碑右列「弘法大師御作・汐干(洲干)・杉山大弁財天女」とは、洲干弁天が元町に安置されている場合の異称であり、年に一度の祭礼の際に洲干島に奉還された時は「清水弁天」と呼びなわされていた。 ● 石碑左列「薬師吉祥王如来・厄除・聖徳太子四十二歳御作」とは、西暦806年(大同元年)の「洲干島の沖之進伝説」に由来する。 ※「洲干島の沖之進伝説」の詳細は後日のべる。
元町増徳院 薬師堂 弁天堂 旧本堂に安置されていた
【 洲干弁天 八臂宇賀弁才天 座像 】 八臂宇賀弁才天については画像をクリックすると参考資料がご覧になれます。