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3.洲干弁才天像(1)

  • 2017年8月15日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年9月7日



写真は洲干弁才天座像 本尊

羽衣町 厳島神社・横浜弁天社 旧蔵 (関東大震災で焼失) 横浜市史稿 神社編より

頭部に鳥居と老人面をのせており、宇賀神と弁才天が習合した典型的な「宇賀弁才天」である。本来の八臂形でないのは、これが「前立仏」である可能性も残される。 琵琶湖の竹生島弁才天や江ノ島弁才天、上野弁天堂、弘明寺の弁天像など、日本各地に「八臂宇賀弁才天像」が多くある。 神仏分離令の際に腕を取られた例もあったらしい。 江戸時代、横浜村半島の先にある洲干島の弁天への参拝は、途中に浅瀬があり徒歩では不便だった。ために、江戸時代の元禄年間から、元町増徳院の弁天堂に仮安置されたと考えられる。

横浜開港以前の弁天本尊は、常には元町増徳院に仮安置され、年に一度の大祭 … 大潮の満月の夜に、洲干島の洲干弁天社に渡御・奉還されていた。 本尊の名は、洲干島にある時は清水弁天。元町にある時には杉山弁天と呼ばれていた。 宇賀弁才天たる洲干弁天の信仰の本拠地は、あくまでも洲干島(現 北仲全域)であり、元町は「参拝の利便性のための仮殿の地」だったことが、この祭礼儀式から判明する。

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元町1丁目 増徳院薬師堂弁天堂にも、「洲干弁才天像」は安置されていた(2016年からは未見)。 極彩色で荘厳された「(八臂)宇賀弁才天」の姿のそれは、薬師堂の脇仏として、3階ガラス戸越しの薄暗い奥で、誰もがいつでも拝観できた。 しかし昨年の堂の新築工事以降、通常拝観はできない。 大震災・戦災慰霊、弁財天女碑などの石碑群も同様に拝見できなくなってしまった  横浜村在住 M・岩田 記ス


←出展「横浜の史蹟と名勝 横浜 横浜叢書 第1編」 横浜郷土史研究会編 昭和三年刊 (国立国会図書館デジタルコレクションより)


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